宮崎県都城市
観光案内所




都城市の郷土芸能

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あげ馬
高城町大字穂満坊
概要:380年前、文禄の役に藩主島津以久が出陣するにあたり、武運長久を祈願せられ、凱戦後馬を献上されて神楽を奉納されたときの、大名行列のもようを型どり行なったのに始まるという。旧7月27日諏訪神社祭典の際に行われる。

棒おどり
山田町平山
概要:旧藩時代、領主が士気を鼓舞するために農民にも武道を教えたのが始まりと言われるが、本来は悪霊や疫病を退け、五穀豊穣を祈る農耕神事に関する踊りである。南九州各地に分布するが、この地区には明治34年鹿児島の職人が伝え諸行事のおりに踊られていた。昭和51年に保存会を設立し継承されている。

庄内の南州太鼓
都城市庄内町
概要:庄内町の南州神社に伝わる西郷隆盛翁ゆかりの太鼓である。昭和2年、南州西郷翁の分霊を当地に伝えるときに、地元の青年男女が味噌樽や醤油樽を持ち出して樽を叩き合って喜びを表現したことが始まりといわれる。昭和62年から樽を持ち寄り、その上に牛や鹿の皮を張り「手作り太鼓」として発足し、毎年9月24日の西郷翁の命日に鹿児島南州神社と西郷軍墓地に奉納している。

兵六踊り
都城市下水流町
概要:江戸時代の末期、大隅国分の塩売りが伝えたといわれる。天明4年(1784)鹿児島の下級武士毛利正直が著書「大石兵六夢物語」を舞踊劇化したもので、主人公大石兵六の狐退治があらすじになっており、その蛮勇が楽しいセリフとユーモラスな仕草で表現されている。都城地方の舞台物の代表である。

もぐらうち
山田町竹脇地区
概要:稲ワラで編んだ棒を持って「もぐらうっがきたど。もぐらうっがきたど。-中略-あわんもちゃいらど。こめんもちゅくいやんせ」と歌いつつ子供達が家の周りの土地をワラ棒っで叩いて回り、家主からお菓子等をもらう。「もぐら」がたくさん来れば家が傾くため、その土地からもぐらをおいだすのが目的らしい。

飴売り踊り
山之口町五反田
概要:明治18年に日南市鵜戸神宮から伝承され、昭和18年に踊ったのを最後に35年余り影をひそめていたが、昭和60年に五反田地区公民館落成時に復活し、伝承芸能として保存している。

ジャンカン馬踊り
都城市下長飯町、関之尾町
概要:ジャンカン馬は鈴かけ馬の別名で、馬が三味線、太鼓、カネのはやしにあわせて踊るにぎやかな踊りである。馬にかけた鈴がジャンカン・ジャンカンと鳴りひびくことからジャンカン馬と呼ばれている


平江の俵踊
都城市平江町
概要:俵踊りの分布は、高岡・本庄をはじめ南九州各地で踊られており、労働作業に関する芸能であり、豊作を感謝するとともに、作神を送り出すための踊りである。昔から米集荷の中心として栄えた平江町において、町ぐるみで伝承されている。

庄内の相撲甚句踊
都城市庄内町
概要:明治39年(1906)庄内の願心寺の大本堂の落成祝いに披露されたことに始まるという。構成は、軍配を手にする行事と、力士風に「大イチョウ」を結い、紫色の着物を右肩脱ぎにし、桜の小枝を持つ踊り手からなり女性が持つ出産呪術を美しくあらわした素晴らしい踊りである。

熊襲踊
都城市庄内町
概要:ヤマトタケルノミコトが、この地で熊襲を征伐したあとその祝宴におどったものと伝えられている。 踊り手はグロテスクでユーモアを帯びた面をつけ、しゅろの皮で作ったかつらをかぶり、足にもしゅろの皮の脚絆をつけ、胸に大きなザル(バラ)をだいて、それを叩きながら踊る。



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